人類は、大自然の雄大なリズムの中で育まれた動物を捕獲し、植物の果実を採集しながら、生きてきました。食用に適する植物種子を自然土壌に植え、栽培しながら生きてきました。こうした大自然の命の鼓動に育まれながら農作業に従事することが人類の基本的な生き方だったといえるでしょう。しかし、科学技術に支えられた近代農法の出現は、人類が長い間、育んできた伝統農法を次第に凌駕していきました。伝統農法に根ざす生産の非効率性を近代農法が克服する力を持っていたからです。そのため、近代農法はまたたく間に地球規模で拡散していきました。この歴史的潮流は、しかし、私たちに新たな問題を突きつけています。
近代農業は、単位当たりの農産物の生産量を最大限にするために、また、農業従事者の労働負担を軽減するために、化学肥料や除草剤、殺虫剤といったものを土壌や植物に投与してきました。行政機関は、これらの投与の植物群に対する影響を、厳しく検査をし、必要であれば、その使用を規制するといってきました。しかし、その投与量がある規準を超えなければ、問題なしとして処理し、単位当たり農産物の収穫量を出来るだけ多く、獲得できるような社会環境を農業従事者に整備してきました。そうした姿勢は、しかし、知らず、知らずの内に地下水や大気の汚染を生み出したといわれています。
水耕栽培と呼ばれる野菜工場から生まれる野菜は近代農法の顕著な例と言えるでしょう。野菜工場を推奨する人々は母なる大地は雑菌が多く、時に汚く、有害であるが、野菜工場は、こうした農業の負の遺産を私たちの生活から取り除いてくれると言います。遺伝子組み換えによる除草剤耐性や害虫抵抗性などの様々な自然環境下で育つ種子の登場は、農業生産者に大きくアピールしました。雑草などによる収量減から作物を護り、農家の要望に最適化した種子を開発したからです。しかし、これらの営みの背後には、現代の私たちが気づかない問題が隠されている可能性もあります。
私たちの食べ物のほとんどは生き物から作られています。生き物は数万年、数十万年という長い年月の流れの中で、自然環境に適応し、進化してきました。ところが、科学技術の急激な開発が進むにつれ、私たちの環境は種子や動植物といった生き物が短時間の内に、人為的に操作され、変化しているのです。「この変化が地球規模で生じている」というのが、文明史的視座から捉えた現代社会の特徴かもしれません。この特徴が、将来、どのような社会をもたらすかは、予測しにくい問題です。しかし、幾つかの予兆が見られます。温暖化現象などの異常気象の頻発や生態系の乱れなどといった現象です。
今回、陽光文明研究所は、「自然と人間の共生」というテーマを巡って国際会議を開催することとしました。「自然と人間の共生」というテーマを謳ったのは、人間を含めたすべての生命が大自然との関わりで、育まれてきたという事実の重みを今一度、再認識する必要があると考えたからです。しかし、「自然と人間の共生」というテーマは極めて広範囲な意味を含んでおり、研究所は、そのため「農業」に焦点を合わせながら、以下のような内容で会議を企画しました。
□ 会議名:第5回陽光文明国際会議『自然と人間の共生:農業をめぐって』
□ 開催日:2011年11月20日(日)〜23日(水・祝)
□ 場所:岐阜県高山市光記念館
□ 参加予定人数:参加者 30名 / オブザーバー 400名
□ 会議の焦点:会議は以下の3つの領域に焦点をあてながら進めていきたいと思います。
昨年、陽光文明研究所は、有機農法と命との関わりに焦点を当てた会議を開催いたしました。その際、農業への科学技術の介入はどのような形でなされ、どのような意味と問題を抱えているのかという視点を十分に議論することが出来ませんでした。そのため、第1の領域では、まず科学技術の知恵と営みに支えられ発展してきた近代農業の現状と問題点について議論していただければと思います。さらに、有機農業の現代社会における意味と問題点についても再度、議論できればと思います。その話し合いの中で、「近代農業か有機農業か」という二項対立的思考を超えて、新たな農業が模索されるならば、会議企画者としてうれしい限りです。近代農業と有機農業のそれぞれのよい点を受け入れながら、第3の農業の歩みは考えられないのか、そうした関心がこの領域の中心課題です。
第1の領域を議論していきますと、私たちは「自然と人間の関係」をどのように理解すればよいのかという問いに誘われます。私たちは自然と出会いながら、その自然を自分の観察対象や操作対象として捉え、私たちの生活にどのように利用できるかといった功利的態度で自然に関わることがあります。しかし同時に、私たちは、自然が私たちの命を育み、成長を促す命の源であると感じることもあります。自然への人間の、この2つの関わりは人間であればだれでも経験することですし、どちらも大切な関わりのように思います。しかし、会議の主テーマは「自然と人間の共生」です。この言葉には、あまりにも強い功利的関心から自然に関わろうとする現在の科学技術社会のあり方に批判的眼差しが向け入れられていることを示唆します。
第2の領域では、「自然と人間の2つの関わり」に焦点を当てながら議論していただければと思います。その際、マルティン・ブーバーが自然と人間の関わりを「我とそれ」と「我と汝」という関係語で捉えたように、「自然と人間の関わり」自体を思想的に議論していただくことができます。あるいは、自然を支える水、大地、光、大気、身体という自然物と人間の関わりについて議論をしていただくこともできます。自然を人間の功利的関心を成就するための存在と位置づけるならば、土、水、光、大気、身体は科学技術の操作の対象として理解できます。しかし、土、水、光、大気、身体が、生命を支える生命の網の目としての存在であるならば、それらに対する私たちの関わりは少し変わってくるのではないでしょうか。自然と人間の2つの関わりを議論していく中で、科学技術に対する功罪がより鮮明になればと願っています。
この領域では自然への今後の私たちの関わり方や社会のあり方を具体的なテーマを通して議論をしていただければと思います。40年も前に、既に、E. F. Schumacher は『Small is beautiful』を出版し、科学技術の自然や社会への過度の介入に警告を発しました。しかし、その介入はとどまることを知らず、その結果が環境問題という形でも現れています。
そうした社会のあり方に対して、最近では循環、共生、多様性、持続可能性という言葉を通して現在の社会を変革しようとする姿勢が見受けられます。あるいは、「持続可能性から再生可能な社会」という言葉が語られることがあります。これらの言葉は農業、環境、自然、社会という分野で語られています。現在の自然や社会に対する過度の科学技術の介入を弱め、自然や社会と人間の新たな関わりをいかに構築できるのか、この問いかけがこの領域の中心課題です。自然と人間が共生していく中で、私たちがそれぞれの地域で自立し自給できる社会を可能にするには何が必要で、何をすればよいのかといったことを議論していただければと思います。